
天保の時代
大津波で加茂が壊滅したと書かれた書物を読んだことはある
だが どのようなことだったのだろうか
今回の山形県沖地震で大津波の発生は無かったが
新潟地震で津波を経験された方々が存命されていたおかげで
ほとんどの方が高台へ避難されたそうだ
新潟地震では ゆるりと海の水が引き
ゆるりと海面が高くなるくらいで
怖さ(強さ)は無かったというが
先の東日本大震災の映像のすり込みにより
非難につながったのではないかと想像できる
東日本大震災の数日前のテレビ番組では
津波は名取市まで到達している痕跡がある
でも『誰も信じてくれないんですよ』と話す
学者の声が耳から離れない
墓碑の解説に刻んである通り
語りつなぐ必要があるだろう
この墓碑と墓碑由来の石碑は
鶴岡市堅苔沢にあり
墓碑の由来文字を起こし ↓ してみました
「天保の大津波墓碑」由来
天保4年(1833年)10月26日八ツ時
庄内沖で発生した大地震で
(午後2時頃)各地の沿岸を襲った大津波は、
高さ三丈(約9メートル)に及び、
堅苔沢村では溺死者7名怪我支社1名、流失・漬家24棟
半壊痛家14棟。流失痛船56艘などと言う
被害を被ったと温海組大庄屋文書は語っている
当地聖徳寺の旧参道で海抜12.7メートルの地に立つ
風化著しいこの石碑は。
遺体を発見できなかった溺死者の供養碑として
語り継がれてきた墓碑であり、
大津波が達した教泉和尚の長女から
この地区の住民が直接告げられていたものである。
この由来碑は東日本大震災を機に
供養の教えを忘れることなく
子ヶ孫ヶに伝えるため設置したのである
平成25年3月27日
鶴岡市堅苔沢自治会
今回の山形県沖地震は
津波の大きさは 小さかったものの
瓦屋根や石碑が倒れる被害は
震源から筋状に ほぼ直線で被害が北上している
と伺った
また 前々から気になっていた
その筋場付近
庄内アルプス麓の道は
舗装されてはいるのだけど
起伏が激しいラフロード
雨が降れば冠水することも有る場所
隆起を続けているからか
それとも沈下しているから
筋状に
直線で北上する被害と
庄内アルプス
ここの
地下に 何かがあるのかもしれないと
オラは ❓?????もやもやしはじめたのだ ♪
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