散り始めた馬渡の桜を愛でに とぼとぼと歩いてきました
中川堰の堤の桜花は この並木だけでも見事だが
新たに赤川の土手に植えられた桜花の樹も見事に育ち
黒川橋までの桜花回廊が続いている
桜花をバックに サクラマス釣りを楽しみたい気分になるが
この日は
BMPCCにANGENIEUX ZOOM TYPE10×12Bをセットして
何時もの素材撮り
桜花をバックに月山を入れたいのだけれど
ローアングルの三脚では
なかなか見つからず
スチルにしたこの場所を探すのが やっとだった
FDフィルターで減光しf5.8で撮ってみたが
この場合 絞って撮影したほうが
良かったと振り返る
もうすでに桜花は散ったので
また来期 奮闘してみようかな
DaVinci Resolveで色を付けてみるも
感覚がつかめず
オラ的にはこれが限界
節のものは節の楽しみ
節の楽しみ鶴岡なのだ♪
話は変わるが この桜花の咲く場所
昔々ずーと前から
中川と呼んでいるのだが
去年の春 馬渡川の桜並木とテレビニューズで流れた
そんな川は無いのに どこ何処?と
画面を見入れば
見たことのある景色
これ 中川だよね!
なんで馬渡川なんだよ????????????
なんでなんで
いつ頃から 馬渡川と呼ぶようになったのかを
Google(愚愚)ってみた
そしたら
歴史は ほとんどなく
最近始めたと思われる
一部の観光案内が
数年前から馬渡川と呼び始め
テレビ報道と新聞社やSNSでもつられて
言い出したのがきっかけの模様だ
そこで
鶴岡市や山形県に問い合わせても
答えは こちらでは対応しかねますとか
地元住民が呼んでいるからと言う返事
地元住民数名に聞き取りを行えば
誰も『馬渡川』と呼ぶ声は
オラには聞こえてこず
誰からも真実は伺えなかったので
さらに疑問が拡大しました
そして ↓疑問符を書き込み
↑この説明会に参加し
オラの質問『馬渡川』のたらいまわしと
同じような証言を
伺うことができたのである
参加した 地区住民曰く
『馬渡川経緯』
馬渡川の石積みは合併前に一回
あのう住民の人たちで消防ポンプ
操法で使うあれで 綺麗にしたことあんのや
すごく綺麗に両側が石積みで綺麗だなやな
そしてあれがらずーっとしてねもんだがら
まだあげなったけども
だいぶ下流まで石積みなってます
我々住民が之 草刈りで下流まで
改修して貰ったでや 泥揚げなぁ
整備するとき 改良区の管理だあんが
町の管理だあんが 県だんが
そういう議論になって
どこでもねと言うはなしだんやの
改良区は解散しちゃったんですよ
市のあえで馬渡川だど
あこほれ 大雨になるとつく
増水するので 田んぼに上がったりしてたもんだから
住民からの要望有ったのよ
改修してくれと 改良区にお願いしてもだめだや
町も金ねんだし して今度県でねが
と言うはなしになっての 県もうでねとなっての
どこもんでねあんば 行政
市でねがと言うことになって 馬渡川となった
以上 地元住民の方が説明会の時
話されたままの文字起こしです
文章になっていませんが
オラの
疑問符はほどけたました
でも気分は『なんだかな』
説明会に参加した地区住民の語ったことを
オラなりに解読すると
馬渡地区を流れるこの川は
大雨の時 赤川も増水していると
水が赤川より逆流してくる
(ここは 渡良瀬遊水地の様に いったん水を貯める場所 赤川では此処のほか下流の伊勢横内にも同じような場所が残る 逆流した水と流れて来た水を一旦ためて洪水を防ぐ)
しかし
土堤が低く 内水氾濫を引き起こし
田んぼに水が上がるものだから
危険極まりない
そこで 地区住民は河川の手直しを
お願いしようとしたが
中川堰を管理していた土地改良区が
解散しているで
旧櫛引町にお願いすることにし
お願いしたら 川の管理をしていないので
こちらでは受けれないと断られ
さらにお願いした
山形県も国交省も
川の管理責任は無く
たらいまわし そして河川の名前も
無かったそうだ
そこで 地区住民の一部は
中川を馬渡川へと改めて呼ぶことに
したのだとか
と 読み解いてみた
確かに堰として使用していた頃は
管理者の土地改良区があり
責任の所在は明白だった
しかし 解散した途端
責任の所在がないというのは
個々の行政は大丈夫なのだろうかと
思ってします
じゃ取水の許可を与えていたお役所は
いったいどこなのよ
と言うことだ
これを 怠慢と呼ばずにして
なんと言おうか?
これが 中川堰あらため馬渡川の顛末の模様
でもオラの周りは
責任のなすりあいより
最上義光の頃から築かれた
史跡を重んじる方が多く
中川の愛称を変えないでほしい方が
実に多い
この説明会の時
簡単に旧中川堰の歴史と担った役割などを
説明し 史跡として後世に伝えていくのが
役所の仕事の一つではないかな
後世に伝えることのできる
看板一つでも
立ててほしいです と
お願いしてきました
馬渡川の桜並木が
賑やかなのは良い事だけれど
旧中川堰の事も
忘れないでね
オラは 馬渡川の経緯が解っても
中川と呼びたい
それから 裏取りしない報道も
一部の観光案内も あてになりませんね
深堀したい方と
裏取りしない
報道関係・自称と公的観光案内方々
一読してみては如何かな
『中川史』
皇紀2679年 令和 元年
皆様 よろしくお願いいたします
ボ♪ボ♪僕ら釣れない中年団
Shakubo29Otama
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