復鎮霊社
徳川家康の長男岡崎三郎信康が
天生七年(1579)九月十五日
織田信長より十二ヶ条の罪状を示され、ちち、家康の命によって生母築山殿と共に非情の死を遂げた。この事件に酒井忠次(庄内藩酒井氏の祖)が徳川の重臣としてかかわりをもっていたため、庄内藩では、後年、貞享二年(1685)一社を建て、その霊を弔ったものである。「復鎮霊社」と称したのは、幕府をはばかったためであろう。(と紹介されていました)
故酒井忠次公の遺志を酒井公の子孫が代々大切に継承し、徳川家康の長男信康公を祀る社を守って来たとうかがえ、2015年、徳川家康公顕彰400年座談会において、徳川宗家・徳川四天王・大岡家・大給家の各末裔の皆様が対談された際『代々伝えられるもの』に、酒井忠久氏が次のように語られています。
『庄内藩では、信康公(家康公の長男)を祀っている立派な社がございまして、幕府の芽をはばかりながらお祀りしていたようです。立場上大変な事だったのですが、信康公をかばいきれなかったということは、終生、酒井家に残っています。』
山王神社境内に鎮座する
その霊を弔った社が「復鎮霊社」
酒井家代々の思いと
信康公・築山殿のご冥福を祈り
合掌
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